ラッキーな細胞が抗がん剤で強くなる話
すっかり年一回の更新パターンになってしまったブログですが、今年も"ディフェンディング・チャンピオン"として #今年読んだ一番好きな論文2017 にエントリーしましたので、一発ぶち上げます。
今年紹介する論文はこちら。
"Rare cell variability and drug-induced reprogramming as a mode of cancer drug resistance"、 和訳すると『レアな細胞のばらつきと、薬剤が起こすリプログラミングによる抗がん剤抵抗性』。がん細胞の個性と薬剤耐性の話です。
相変わらず長い前置き
去年は巨大な寒天プレートの上で大腸菌がどんどん抗生物質耐性を獲得していく実験進化の論文を紹介しましたが、そこでのテーマは、抗生物質というストレスに触れた大腸菌が遺伝子変異を蓄積してストレスに適応していくというものでした。
遺伝子(DNA配列)の変化が抗生物質耐性という生理現象・表現型の変化につながるという流れは生物における差異を生み出す一番「普通の」方法で、DNA配列の違いを解析することで、人類とチンパンジーは1300万年前に分岐したとか、ちょっと身近なところでは 日本人の腸内細菌のDNAを調べたら海藻を分解する酵素を海の微生物からゲットしていた論文が出ていたりとか、そういう研究ができるようになっています。
こうしたわけでランダムなDNAの変化(変異)が蓄積されていくことで生物の挙動が変化していくのは進化論の根幹であるのですが、それではDNAが完全に一緒であれば持ち主の挙動も完全に一致するかというと、実はそうでもないということが最近わかってきています。考えてみれば、人間の一卵性双生児もDNA配列は全く一緒のクローンですが、それぞれ個性がでるのはあたりまえですよね。
たとえばバクテリアでは、ゲノムがコピーされて細胞の真ん中で2つの娘細胞に分裂するという増殖方法がスタンダードですが、これはクローンがどんどん増えていくのと同じなので集団内の遺伝型*1は共通のものです。こうした、遺伝型が均一な集団であっても、それぞれの細胞の挙動には個性が出るというのが知られていて、特に薬剤耐性の分野では研究が盛んに行われています。
遺伝子変異による薬剤耐性は、一度現れれば子孫にどんどん受け継がれるので集団の適応力を一気に上げる強みがありますが、ストレス源に接してから必要な遺伝子変異が選択されるまで待つ必要があるので時間がかかるというデメリットがあります。
これに対して、非遺伝的な個性はストレス源が現れる以前から確率的に存在する性質上、一部の細胞が一時的にせよ生き残って変異が現れるまでの時間稼ぎができるという働きがあるのではないかと言われています(論文はこちら)。言ってみれば、ローコストなベットヘッジング戦略ですね。
こうしてバクテリアにおいて非遺伝的なメカニズムで細胞ごとの個性が生まれる様子がわかってきた一方で、クローン細胞集団で薬剤の効き方にばらつきが出る現象はがん治療分野においても知られているようです。そこで今回紹介する論文は、そんながん細胞においても非遺伝的なばらつきが抗がん剤抵抗性につながっているという研究結果です。いやはや今回も前置きが長かった…。
メラノーマ細胞の非遺伝的薬剤耐性とLuria-Delbrück解析
BRAFタンパクの変異によって起こることが多い皮膚がんの一種メラノーマ*2は、変異BRAFを阻害する抗がん剤Vemurafenibの投与によってほとんど撃退できるものの、ごく一部の細胞が薬剤耐性を獲得して再発の種になることが知られています。
そこで筆者らは1細胞レベルでどのように薬剤耐性能が生み出されているのか探るべく、患者から単離されたメラノーマ細胞に抗がん剤(Vemurafenib、以下同様)を投与して顕微鏡で観察したところ、ほとんどの細胞の成長が停止する一方で、薬剤耐性を持つ細胞の塊(コロニー)が少数形成されることがわかりました。
それでは、この薬剤耐性が
- 遺伝的な(子孫に安定して受け継がれる)性質のものなのか、
- 非耐性状態と薬剤耐性につながる状態を行き来する非遺伝的な性質のものなのか、
気になった筆者らはLuriaとDelbrückの"Fluctuation Test"を応用して調べました。
Fluctuation Testは一言で言えば「遺伝子変異は選択圧(ストレス)の結果として起こるのではなく、選択圧があってもなくてもランダムに起こる」ことを証明した実験で、LuriaとDelbrückの1969年ノーベル賞受賞につながる歴史的な研究成果です*3。考え方としては、もし遺伝子変異がストレス源に対する応答として起きるのであれば、抗生物質を混ぜた培地に同じ量の細胞を乗っければ毎回だいたい同じ量の細胞が生き残るが、もしストレス源に触れる前からランダムに変異が起こっているなら、変異が起こったタイミングによって子孫の数が変わるので培地ごとの生き残り細胞数は大きくばらつくだろうというものです。
本論文に話題を戻すと、筆者らはこのLuria-Delbrückの実験を応用して、遺伝型が均一なメラノーマ細胞集団を用意してからいくつかのグループに分け、それぞれに抗がん剤を投与する実験を考案します。もし薬剤耐性が遺伝するのであれば、たまたま早期にできた変異がどんどん子孫に伝わって、それに応じたコロニーがたくさんできるケースが出てくるはずです。しかし、もし薬剤耐性が一時的なものであれば、どの細胞も同様に薬剤耐性につながる可能性があるので、だいたい同じようなコロニー数に落ち着いて極端にたくさんできることはないはずです。
実際に実験をやってコロニー数を数えてみると、極端に多くのコロニーをもつケースはなく、2番目の「非遺伝的薬剤耐性」仮説が支持されました。
さらに119個の既知のがん関連遺伝子配列を親細胞と薬剤耐性能獲得後の細胞とで比較してみたところ、新しい変異はみつからず、薬剤耐性の獲得は遺伝子配列の違いによるものではなさそうという結果になりました*4。
1細胞トランスクリプトーム解析
遺伝型の違いではないとすれば、なにが薬剤耐性につながっているのでしょうか。 筆者らは薬剤耐性を示す細胞に特有の遺伝子発現パターン*5をRNAシーケンサーで調べ、そうした細胞で多く発現しているマーカー遺伝子をまとめました。
つぎに1細胞ごとの個性を細かく見ていくために、smRNA FISH*6を用いて抗がん剤投与前の各細胞においてマーカー遺伝子の発現量を調べました。すると、薬剤投与前にもかかわらず耐性遺伝子を高発現している細胞がごく少数(1/50~1/500の割合で)存在することがわかりました。
抗がん剤を投与して4週間経過すると、生き残った細胞から形成されたコロニーではマーカー遺伝子が一様に高発現している様子も観察されました。
こうしたマーカー遺伝子発現から抗がん剤投与後の薬剤耐性を予測できるのか調べるため、マーカー遺伝子の一つであるEGFRの高発現細胞(上位0.02~0.2%)を蛍光セルソーター(FACS)で拾い出してきて抗がん剤を投与したところ、母集団に比べて7.9倍も多く耐性コロニーが形成され、薬剤投与前にマーカー遺伝子を高発現する細胞が抗がん剤投与後に耐性を示しやすいことがわかりました。さらに、セルソーターで拾い出してきたEGFR高発現細胞を薬剤なしで1週間育てると薬物耐性能を失うこともわかり、薬剤耐性の一時性も確認できました。
一時的な薬剤耐性を抗がん剤が固定化する
一方で、抗がん剤投与後にできる耐性コロニー中の細胞は、投与を一旦停止して再開した場合でも薬剤耐性を失わず、また遺伝子発現パターンにも影響しないことがわかりました。つまり、薬剤耐性は抗がん剤投与後に固定されるようなのです。
そこで筆者らは、
- たまに細胞が一時的な薬剤耐性を獲得する
- 薬剤投与によって細胞がリプログラミングされ、薬剤耐性が固定化される
という2段階で耐性が獲得されるのではないかと考えました。
EGFR高発現細胞をひろってきて抗がん剤投与前後のマーカー遺伝子発現量の変化を調べると、投与前はごく一部の遺伝子しか高発現していないのに対し、投与後は時間を追うごとに高発現するものが増えていくことがわかりました。
抗がん剤投与によって遺伝子発現パターンが変化していくことがわかったので、そのメカニズムを突き止めるべく全ゲノムの制御因子結合部位をATAC-seqと呼ばれるシーケンシング手法で調べました。
その結果、抗がん剤投与によってまずは分化を制御する転写因子の結合部位が減少し、つぎに侵襲性を高める転写因子などの結合部位が増加することがわかり、抗がん剤投与後の薬剤耐性固定化には脱分化を経て新しいシグナル伝達経路の活性化が関わっていることが示唆されました。
論文のまとめ
論文をまとめると、「メラノーマには抗がん剤投与前から一時的に耐性遺伝子を高発現するレアな細胞が存在し、抗がん剤を投与すると転写因子結合部位が変化することで耐性遺伝子の発現パターンが変化して薬剤耐性を固定する」ことが報告されています。論文の結びで筆者らは薬剤耐性の一時的及び遺伝的な要因は相互排他的ではなく、本記事冒頭で述べたように遺伝的変異獲得までの時間稼ぎとして一時的な耐性能が働く可能性を指摘しています。
Vemurafenib一種の研究とは言え、抗がん剤そのものが一部の細胞の薬剤耐性を助長しているという結果になり、がん治療戦略の精査が必要になりそうです。遺伝子発現が一部の細胞でのみ高いという現象はメラノーマ以外のがん細胞や正常なメラノサイトでも見つかっており、こうしたメカニズムの非遺伝的薬剤耐性は広範囲な影響があるかもしれません。
本論文で報告された耐性獲得では遺伝子配列の変異の寄与は見られず、純粋にエピジェネティックなメカニズムで安定した薬剤耐性が遺伝的に均一な集団から現れてくる様子はめちゃくちゃおもしろいし、現代的な研究だと思います。微生物と共通する非遺伝的表現型ゆらぎとその働きをユニークな切り口で定量化していく本論文は、普通だったらがん研究論文は全く読まない僕でも面白く読めました。
研究手法の感想としては、一細胞smRNA FISHやATAC-seqなどの新しい技術を使いつつ、古典的遺伝学の粋たるLuria-Delbrück実験も組み合わせる手腕が最高でした。ラストオーサーのArjun RajはsmRNA FISHの第一人者ですが、得意な技術を軸に据えつつ古く枯れた技術も使いこなすのはかっこいいですな。研究室を運営する若手PIとしての考察を綴る彼のブログも面白いです。
追記 本記事でタチコマ賞を受賞することができました!@antiplasticsさん、ありがとうございました。